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フェイト/アポクリファ 第5巻「邪竜と聖女」

外典、完結。

なんだかよく分からんがハッピーエンド。


結論だけ先に言うと、かなり面白かった。第4巻ぐらいから徐々にだがハッキリとこの作者固有の癖のようなものが感じられるようになり、それが非常に良い味を出していた。たとえば、ジャック・ザ・リッパーというかそれを成した亡霊たちの背景、社会が悪いとしか言いようの無い状況は今迄の『Fate』シリーズではありそうでなかった視点だと思う。

何よりの特徴は、みんな気に入った対象には驚くほどピュアな感情を向けてたことですね。ジークのジャンヌに対する感情や、ジャンヌのジークに対する想いは言うまでもなく、友情にしろ敬愛にしろ好意的感情は基本的には大体全部そうだった。これは完全な個人の好みの問題であるが、私にとってはとても良かった。

そうであるからこそラストシーンがとても良かった。言葉のあやでも何でもなく文句が一出なかった。普段の私なら、なんでそんなことが出来るんだ、ご都合主義だ、といったようなことを言い出すわけだが、そうはまるで思わなかった。子供のように初心な人たちが様々な困難を経て結ばれましたという雰囲気にとても朗らかな気分になってしまい、余計なことは一切頭から飛びました。


戦いは大体どれもこれも盛り上がったなぁ。まずは、黒のアーチャー/ケイローン対赤のライダー/アキレウス。アキレウスの英傑殺しと言われる槍の効果は一対一に向いた環境を作ること。キリングフィールド・ジツか。聖杯戦争のサーヴァントとは到底思えないけれど、しかし確かに迫力満点の格闘戦。面白いかつまらないかで言えば確実に面白かった。最後の最後で放たれたケイローンの宝具も全く予想外のものだったけど、これは考えると疑問点ばかり出てくるな。だから、深く考えないことにする。

そして、個人的に一番盛り上がったのはカルナさんとの戦いです。なんか、こう、色々と熱過ぎる戦いであった。次元跳躍で飛び回るヒポグリフについてくる異常さとか、神をも殺すのでいかなる存在も無意味って“日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)”があまりにも強すぎるとか、次々出てきたとんでも要素が印象的なわけだが、それ以外に。ここに来て願いを一つ持っていることに気付きそれ故に死ねないと思うジークとか、絶妙なタイミングで乱入するアストルフォとか、少年漫画的ベタな要素が良い味を出している。

あとは、ジーク対天草四郎。ジークが寿命を削る必殺技を手に入れたことから「Heaven's Feel」を連想し、最後は大聖杯の前で神父と殴りあいになるのでは、とは常々思っていた。そこは予想通りだったのだが、展開は全く予想外だった。正直、フランケンシュタインの設定は死に設定になったものとばかり思っていた。

他には、シェイクスピアもある意味良い味出してましたね。最後までまともな戦闘を一切しないまま死にやがった。そして、その散り方が良かった。ああいう崩れる建物の中で作品制作に没頭、陶酔しながらの死ってのにはロマンがあると思う。まさかのジル・ド・レェ召還にも驚かされた。アルトリアとかギルガメッシュとかのシリーズ定番というわけでもない人が、また『hollow』とか『CCC』とかのような何かの正統続編というわけでもない作品で再登場するなんて、快挙ですよ、これは。


あまり好きではないのは赤のアサシン/セミラミスの戦い。やつは空中庭園という舞台を用意した時点で役目を十分果たしており、内部に入り込まれてからのサーヴァント同士の戦いにおいてまで強いとは全く思ってなかった。無駄に長生きしたのも印象が悪い。核に確実に手ごたえのある攻撃を受けて、致命傷を負ってから退場までが長過ぎるだろ。これ、アキレウスは分かるんだよ。生粋の戦士で、高い戦闘続行スキルがあるからな。

アキレウスといえば、最終的にアキレウスが止めた赤のアーチャー/アタランテは最後の最後まで予想外の奴だった。ジャック・ザ・リッパー戦で死ぬという大方の予想を覆して妙な方向に話が変わったり、毛皮の効果は神話を拡大解釈しすぎだったり。だが、どうなることかと思いきや、終わってみれば色んなネタを出しきって、これはこれで良い展開だったのかも。


最終巻にもなってようやく開かされる天草四郎の人類救済計画他各種設定。人類救済自体はわりと本気っぽいのだが、全く共感できない。物語全体に常に彼の掌の上で躍らされている感があって、そのことに対する反発心が先に立つ。尤も、ジャンヌの掲げる天草四郎とは根本的に阿入れない考え方とはどんなものなのかは非常に曖昧で分かり難いので、こいつらの思想戦は最後までどっちもどっちという印象しか受けなかった。もっと、救済そのものは認めるが思えの行動が気に食わない、みたいな単純な感情論でも良いと思うんだ。その辺、ジークが最後に天草四郎に挑む動機はシンプルで良い。

実は生前奇跡を起こしたことは無くやったことはすべて(TYPE-MOON世界では)普通の魔術だった。しかし人々からそういう信仰を集めて英霊になったので、英霊としては本当に奇跡を起こせるようになった。この発想は面白かった。


『Fate』シリーズといえば出会いと別れとの物語という側面もあるが、本作はなんだかんだ言って別れは結構グダグダになっていることが多い。あまり感動的な流れになることなく勝手に自滅したり、良好な関係ではあったが死に目に会えなかったり、といった感じであまり湿っぽい感動の別れは無かった。むしろ、別れたけれど再会もあった若しくはあるだろう、みたいな方向性になっている気がする。ラストシーンは言うまでもなく、フランケンシュタインがジークの力として戻ってきていたり。思えばこの作品は元からそういう話だったのだ。ジークフリートがジークの変身として戻ってきたときからずっと。これはこれで悪くないと思う。
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