PSYCHO-PASS 新編集版 第11話

そして、閉幕。

ライ麦畑で捕まえない。


色々あって食糧事情を無茶苦茶にする槙島の計画は頓挫、本人も激闘の末狡噛に殺された。征陸が死に、宜野座が執行官になるなど、公安も少なからず損害を被ったが、再び平穏が訪れた。そんな感じの最終回。さすがにラストスパートだけあって一気に畳み掛けるように展開する。新編集版のやり方に相応しい、と言いたいが途中明らかに本来は場面転換があったが故のダイジェストにしたシーン重複がある。直前が盛り上がっているのもあって中々間抜けだが、むしろ今までこういうケースが殆ど無かったのがすごいと言うべきかな。


さて、この終わり方。狡噛は宿敵を倒したが自らはもう言い逃れの余地なき殺人犯になったし、朱は槙島こそ消えたものの犯罪者にしないのには失敗、シビュラは秩序が取り戻されたものの貴重な逸材を採り逃した。宜野座についてはもう言うまでもなし。三方一両損的に、皆どこかしらスッキリしないところを残しているのが逆に好ましいと思える。

そして、何より、人の行動を決めたがる支配者を倒してこれから人類は自由だバンザーイ、というような安易なオチにならなかったのが何より好ましい。これは本放送当時に書いたことの繰り返しになるが、人間を自由なままにしておいては碌なことにならないからと築かれた管理システムに対して人間は自由があることこそが重要なのだと言うのでは何の反論にもなっていない。その手の理屈(にもならない言葉)で管理社会を倒す類の展開に私はひどい欺瞞を感じるのである。そのような下らん感情論に走らずあくまで警察と犯人との追いかけっこ、及び警察や司法の職業倫理に終始したのが素晴らしい。


その分、不満もある。最後の最後になって急にシビュラシステムを悪党扱いする描写が増えることだ。朱が露骨に嫌そうな態度をとり、シビュラ中枢が自分たちこそを人間を支配しているというような体で話す。これはここまでの話と若干噛み合ってない。朱が毛嫌いしたのは槙島を裁けなかったことなど幾つかの処遇への感情論であり、シビュラも社会を守るシステムというスタンスは一定していた気がするのだが。なんだか唐突にシビュラが滅ぼすべき悪党になったようで違和感がある。

シビュラシステムはあくまで人々の暮らしを楽にさせるためのシステムで、それを不満に感じる人々とは、システムが入り込みすぎたことで従来のやり方が通じなくなったことに対する違和感をそのように言っていたようなケースが多いように思う。これはたとえるならば、現実現代の日本においてインターネットで出来るようになったが故に古典的方法があまり使われなくなった状況(電子書籍にはなっても紙の本にはなってなかったり、詳細はネットで調べろと言って細かく書いてなかったり)から、現代はネットに支配されていると言うようなものだ。極端な物言いであって、実際に支配している訳ではなかった筈だ。

要は、捻くれ者がゴチャゴチャ言ってるだけでシビュラシステムによる社会自体はそれなりに優れた恩恵があった筈なのだ。それが確かであるからこそ朱はシビュラを否定できないし、この物語自体くだらない感情論からの革命(というか体制破壊)路線に行かないのだ。全体としても犠牲は被ったが凶悪犯罪者を始末した、という形で綺麗に終わろうとしているし、このパート明らかに蛇足である。

まぁ、色々言ったが所詮は蛇足の話である。この最終回自体は非常に好みのものなのですよ。そこは偽りの無いところですよ。


今回の追加部分。今回は冒頭に尺を全て振っている。槙島が狡噛をどれだけ特別扱いしていたかが分かる、というべきかな。あと、聖書から麦の出てくるわりと有名なフレーズを引いているね。本編が麦を狙う話であり、オリジナル版からある部分でも聖書から麦が出てくるところを引いていたりするし、ここでも麦関連の話題を引くのは必然か。いや、この理屈はおかしいか。


では。続編でも何か記事を書けると良いなぁ。
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